カテゴリー: 神社
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吾平山稜
山陵とは帝皇の塚墓をいいます。
日本書紀に「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は、西の洲の宮で崩御、日向の吾平山上陵○○に葬る」と記載されています。
御陵の所在については、明治(1874)7年7月10日に肝属郡姶良郷(吾平町)上名村を御治定になりました。
古事記には、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊を「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」と載せています。
御陵のあるところを、俗に鵜戸山(うどさん)といい、窟を鵜戸岩屋(窟)と称しています。
姶良名勝誌には、窟内に大小御陵二ケ所あり、その内の大の塚は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の御陵で、その東の小の塚は后妃玉依姫(神武天皇の御母)の御陵と申伝云々と記されています。
陵域は甚だ広いです。
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊を祀る鵜戸六所権現(現鵜戸神社)は、ここから北方約6kmの麓宮前にあります。
神武天皇妃吾平津姫を祀る大川内神社は、南方約4kmの神野大川内の地にあります。 -

金比羅神社
階段の入口にある「方柱四方梵字」は、昭和46年3月2日に指宿市指定文化財に指定されました。
この板碑には、東面に「摩利支天」、西面に「弥陀如来」、南面に「阿閃如来」、北面に「勢至菩薩」の梵字が、筆太刷目の刻調で刻まれています。
筆太刷目の刻調は、北薩栗野町に同型の板碑があることが知られています。
このことから、南北朝~室町時代にかけて、民衆の浄土への願生供養の風朝が南薩地方にも及んでいたことを物語る貴重なものとされています。




































