カテゴリー: 霧島・国分

  • 蒲生 戦没記念碑群

    蒲生 戦没記念碑群

    これらの記念碑は、関ヶ原の合戦以降の戦争・戦役に関するもので、国家の発展を願う本町の有志の方々の参戦記念と英霊を慰めるために建立されたものです。

    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    大東亜戦争慰霊塔
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    西南戦役 薩軍殉難者
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    関ヶ原合戦記念碑
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    西南戦役記念碑
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    日清戦役記念碑
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    日露戦役記念碑
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    戊辰戦役記念碑
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    表彰記念碑
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    日清・日露戦役 戦病死者
    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

    鹿児島観光案内所・蒲生 戦没記念碑群

  • 蒲生のクス

    蒲生のクス

    「蒲生のクス」は、昭和63年度に環境庁の巨樹・巨木林調査によって、日本一の巨樹であることが証明された。
    樹幹の下部には凹凸が多く、内部には直径4.5m(約8畳敷)の空洞がある。
    枝張りは四方に広がり、その壮観な様は、まるで怪鳥が空から降り立ったようである。
    保安4年(西暦1123年)閏2月21日に、蒲生院の領主であった蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけしゅんせい)が、豊前国宇佐八幡宮を勧請して、この地に正八幡若宮(蒲生八幡神社)を建立した。
    その時すでに「蒲生のクス」は、神木として祀られていたという。
    伝説では、和気清麻呂(わけのきよまろ)が宇佐八幡の神託を奉上し、大隅に流された時に蒲生を訪れて、手にした杖を大地に刺したところ、それが根づき大きく成長したものが「蒲生のクス」だとも言われている。
    また、出水地方に残る伝説では、悲しき恋物語によって「出水の大楠」と「蒲生のクス」は互いに相思の楠であるとも言われている。
    これまでの長い歳月や自然災害の影響で「蒲生のクス」の樹勢に衰退が見られたため、蒲生町では、この歴史的遺産を末永く保護し、構成に伝え残していこうと、平成8年度から4ヶ年計画で国庫補助事業による「蒲生のクス」保護増殖事業を実施した。
    鹿児島観光案内所・蒲生のクス

    鹿児島観光案内所・蒲生のクス

    鹿児島観光案内所・蒲生のクス

    鹿児島観光案内所・蒲生のクス

    鹿児島観光案内所・蒲生のクス

    鹿児島観光案内所・蒲生のクス

    鹿児島観光案内所・蒲生のクス

    鹿児島観光案内所・蒲生のクス

    国天然記念物指定:大正11年3月8日
    国特別天然記念物指定:昭和27年3月29日
    推定樹齢:1500年
    樹高:30.00m
    根回り:33.57m
    目通り幹周り:24.22m
    樹根空洞:直径4.5m

  • 鹿児島県内の主な航空基地跡

    鹿児島県内の主な航空基地跡

    鹿児島観光案内所・鹿児島県内の主な航空基地

    陸軍
    知覧基地
    万世基地
    徳之島基地
    青戸基地(未完成)

    海軍
    鹿屋基地
    出水基地
    鹿児島基地
    牧ノ原基地
    喜界島基地
    古仁屋基地
    第一国分基地
    指宿基地(水上機)
    種子島基地
    第二国分基地
    垂水基地
    岩川基地
    志布志基地
    串良基地
    桜島基地(水上機)