カテゴリー: 大隅・垂水

  • 吾平山稜

    吾平山稜

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    山陵とは帝皇の塚墓をいいます。
    日本書紀に「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は、西の洲の宮で崩御、日向の吾平山上陵○○に葬る」と記載されています。
    御陵の所在については、明治(1874)7年7月10日に肝属郡姶良郷(吾平町)上名村を御治定になりました。
    古事記には、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊を「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」と載せています。
    御陵のあるところを、俗に鵜戸山(うどさん)といい、窟を鵜戸岩屋(窟)と称しています。
    姶良名勝誌には、窟内に大小御陵二ケ所あり、その内の大の塚は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の御陵で、その東の小の塚は后妃玉依姫(神武天皇の御母)の御陵と申伝云々と記されています。
    陵域は甚だ広いです。
    彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊を祀る鵜戸六所権現(現鵜戸神社)は、ここから北方約6kmの麓宮前にあります。
    神武天皇妃吾平津姫を祀る大川内神社は、南方約4kmの神野大川内の地にあります。

  • 旧笠之原海軍航空基地跡地

    旧笠之原海軍航空基地跡地

    鹿児島観光案内所・旧笠之原海軍航空基地跡地

    鹿児島観光案内所・旧笠之原海軍航空基地跡地

    鹿児島観光案内所・旧笠之原海軍航空基地跡地

    鹿児島観光案内所・旧笠之原海軍航空基地跡地

    鹿児島観光案内所・旧笠之原海軍航空基地跡地

    旧笠之原飛行場として、大正11年8月から昭和20年8月15日まで24年間にわたり、旧陸海軍の飛行場基地として使用されていました。
    太平洋戦争末期の昭和19年1月15日には海軍航空基地が設置され、田中隊一個中隊が常駐することとなりました。
    また、昭和20年1月には第203航空隊零式戦闘機72機が配備され、特別攻撃隊として南海の戦場に散りました。
    その後、昭和20年3月18日の連合軍の集中砲撃のため、格納庫を始めとする基地施設は消滅し、当時を物語る唯一の遺物として、このコンクリート入口が、東西に走っていた滑走路へ通ずる地下道入口ならびに地下通路司令室として現存しているものです。
    元々は、民有地を買収して飛行場が作られた関係上、終戦により地元地区民に農地として無償で払い下げられ、現在に至っています。

  • 輝北天球館

    輝北天球館

    輝北天球館(きほくてんきゅうかん)は、鹿児島県鹿屋市輝北町市成の輝北うわば公園内に所在する市立の天文台です。

    鹿児島観光案内所・輝北天球館

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    鹿児島観光案内所・輝北天球館

    鹿児島観光案内所・輝北天球館

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    鹿屋市に合併する前の旧輝北町が、環境庁(当時)の星空継続観察で四季連続日本一となったことを記念して、1995年(平成7年)8月10日にオープンさせました。
    館の名前は、千葉県の男性が応募したものが選ばれています。

    当初は、町の外郭団体である輝北上場きほく上場公園管理公社が運営していましたが、2000年8月1日に財団法人輝北上場公園まちづくり公社へ移管しました。
    また、2003年4月1日から、専従職員がそれまでの3名から館長のみの1名に削減されています。

    開館した1995年度は半年で約2万9000人が来館しましたが、1999年度には約1万1000人にまで減少しています。
    「もうけ」を追求する施設ではなく、教育文化施設としての存在意義が求められている状況にあります。

    鉄筋コンクリート四階建て延べ床面積430平方メートルの建物に、鹿児島県で最大の65センチカセグレン式反射望遠鏡を備えています。
    館自体が、標高約550 メートルの高地に設置されています。
    建物は、ラグビーボールのような形をした空間が脇へ飛び出した特徴的な外観をしています。

    鹿児島県鹿屋市:輝北天球館のご案内
    http://www.e-kanoya.net/htmbox/tenkyuukan/

  • 内之浦宇宙空間観測所

    内之浦宇宙空間観測所

    鹿児島・内之浦宇宙空間観測所

    鹿児島観光案内所・内之浦宇宙空間観測所

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    鹿児島観光案内所・内之浦宇宙空間観測所

    鹿児島観光案内所・内之浦宇宙空間観測所

    内之浦宇宙空間観測所(うちのうらうちゅうくうかんかんそくしょ)は、日本の宇宙空間観測施設・ロケット打ち上げ施設です。
    世界でも珍しい山地に立つロケット発射場です。

    内之浦宇宙空間観測所は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設の一つで、科学観測用衛星の打ち上げと追跡・管制を行っています。
    日本国内のロケット打ち上げ施設としては種子島宇宙センターと並ぶ存在です。
    立地条件が市街地から離れ、物資輸送が便利で、東側が開け、国内で地表の自転速度が速い地域ということで、種子島とともに選ばれました。

    前身は文部省宇宙科学研究所(ISAS)付属の鹿児島宇宙空間観測所で、JAXA統合後に現在の名称に改められました。
    秋田ロケット実験場に続く日本で2番目のロケット打ち上げ施設として1962年に起工され、1963年12月9日に開所されました。
    旧名称の英略はKSCでケネディ宇宙センターと同じでした。
    しかし、命名はこちらの方が先であるという経緯もあり、かつては元祖KSCを名乗っていました。

    日本最初の人工衛星である「おおすみ」(内之浦のある大隅半島にちなんで名づけられた)の打ち上げなど、ISASが独自に開発した固体燃料ロケットであるカッパ、ラムダ、ミューなどを用いての宇宙観測や技術試験、天文観測衛星・惑星探査機の打ち上げ、また、それらの追跡・管制を行っています。

    内之浦では大型ロケットの打ち上げとしては世界的に珍しい傾斜発射を行うことを特徴としています。
    これは、ロケットを早く海上に放出することで、万一事故が発生した場合の被害を少なくするためであります。

    JAXA|内之浦宇宙空間観測所
    http://www.jaxa.jp/about/centers/usc/

  • 鹿児島県内の主な航空基地跡

    鹿児島県内の主な航空基地跡

    鹿児島観光案内所・鹿児島県内の主な航空基地

    陸軍
    知覧基地
    万世基地
    徳之島基地
    青戸基地(未完成)

    海軍
    鹿屋基地
    出水基地
    鹿児島基地
    牧ノ原基地
    喜界島基地
    古仁屋基地
    第一国分基地
    指宿基地(水上機)
    種子島基地
    第二国分基地
    垂水基地
    岩川基地
    志布志基地
    串良基地
    桜島基地(水上機)